過去2回にわたって「世界遺産訪問レポート」ということで、京都についてご紹介してきました。
今回は、京都御所/御苑についてお届けします。
(京の最高級の史跡ですが、諸事情により世界遺産ではありませんので、「京都観光気分を味わおう」シリーズに改めます。)
前回までの記事はこちらからどうぞ: tsh.hatenablog.jp
御所 (京都御所)
ここで新たに説明するまでもありませんが、桓武天皇が794年に都を移されたのが平安京の始まりです。
平安京は中央の朱雀大路(現在の千本通り)により左京と右京に分けられていました。
現在の御所(京都御所)は、1331年に光厳天皇が即位されてから以降、1869年まで天皇が住まわれていました。
平成28年までは春と秋しか一般公開されておらず、(事前申し込みという方法はありましたが、)タイミングが合わないと見学するのが難しい場所でした。
が、平成28年7月頃以降は、申込不要の通年一般公開となり、見学しやすくなりました。
それでは、中の様子を見ていくことにしましょう。
御所の内部を見学
御車寄
高位の貴族などが、参内した際に儀式や天皇との対面のため使用した玄関、ということです。
ここから中の建物は廊下でつながっています。
諸大夫の間
控えの間です。
この写真では分かりにくいですが、「虎の間」「鶴の間」「桜の間」となっており、身分によって使う部屋が決まっています。
高い身分の者は、先ほどの御車寄から入って虎の間・鶴の間。 そうでない身分の者は建物の左から入り、桜の間を使うこと、となっています。
月華門
この門の内側で儀式が行われます。
承明門
奥に見えるのが正殿です。
さらに内部に入ってみます。
紫宸殿と南庭
最も格式の高い正殿で、即位の礼などの重要な儀式がここで行われました。
ご記憶の方も多いかと思いますが、こちらは先日皇居で執り行われた「即位礼正殿の儀」中庭の様子へのリンクです(毎日新聞のサイト)。
御所と比べられると面白いと思います。
御内庭
こちらは、お住いになられている区域にある御庭です。
* *
他にも沢山の見どころがあるのですが、今回ご紹介したのは、ほんの一部となっています。 貴重なものが自分の目で見ることができますので、機会があればぜひ訪問されることをお勧めします。
御所の外側を見学
築地塀
一見なんに変哲もない壁のように見えますが、築地塀となっています。
筋塀と言われる白い筋が5本入っていますので、ここが最高位の格付けであることを表しています。
(『帝(みかど)』が住む場所ですので、当たり前といえば当たり前ですが・・・)
外側は、かなり広い様子が伺えます。
その昔はこの場所(御苑内)に入ることさえも相当難しかった、といわれていますから、感慨深いです。
猿ヶ辻
延々と続く築地塀ですが、角はこのような感じになっています。
1周してみると、北東角だけ少し違う形になっている事に気づきます。
これは猿ヶ辻と呼ばれるもので、御所の鬼門にあたる北東角では、災いから守る意味で築地塀を意図的に凹ませています。
お気づきになられたと思いますが、塀は小川(側溝)で囲まれていて水が流れています。
近くに寄ってみました。
水が流れていますが、深さはそれほどでは無いようです。
正直、側溝の深さも大したこと無さそうですし、幅も1メートルも無いので簡単に跨げそうです。が、
絶対にこれ以上近寄ってはいけません!!
本当に、大変なことになります!!
壁に触る素振りでもしようものなら、すぐに大音量で警報サイレンが鳴り響きます!
(場合によっては、皇宮警察がすっ飛んでくることも。)
もちろん、その後何が起きるかは一切保証できません…😲。
それでは、御苑の外を見学することにしましょう。
「御所には堀がない」
最近、こんな話をいろんな所で聞くのですが、実際に自分の目で確かめてみようと思います。
御苑の北東に位置する石薬師御門から出てみます。
石薬師御門を出たところの梨木通りです。 堀などはありません。
御苑の北東角付近の今出川通りです。 こちらも堀はありません。
少し覗いてみました。深さも大したことがありません。
やはり、城とは違い「外部の敵と戦う」等は考えられていないようです。
まとめ
駆け足で御所(京都御所)や御苑(京都御苑)について見てきましたが、いかがでしたでしょうか。
他にもご紹介したい部分が沢山あるのですが、あまりボリュームを増やしても内容が小難しくなりそうでしたので、この程度にさせて頂きます。
機会がありましたら、ぜひ現地で堪能してみて下さい。
歴史を振り返ってみると、初代天皇の神武天皇から数えて、現在第126代の今上天皇に至っています。ということは125回皇位継承が行われてきたことになります。
その125回のうち59回は譲位による皇位継承となっています。半数近くが譲位によるものだったのですね。
1817年、第119代・光格天皇が第四皇子(後の第120代・仁孝天皇)に譲位してから、平成から令和に改元されるまでの202年間、譲位による皇位継承は行われませんでした。その間の期間は上皇が存在しなかったことになります。
『皇位継承』と書いてしまうと簡単そうに思えますが、実際の歴史をひもとくと、かなり大変な作業であったことが伺いしれます。
古代では皇位を巡って幾度となく争乱が起こっていたようですし、中世以降でも幕府等の実権を握っていた勢力の影響や、ほかにも何度か皇統断絶の危機も起きています。
125回も皇位継承を行っていますから、考えつく範囲のありとあらゆる皇統断絶の危機を経験してそうですが、昨今の状況を鑑みると、まだまだそうでは無さそうです。
特に、今の日本国憲法では「国民主権」となっていますから、ある意味過去の先例が無い時代を歩み始めているともいえます。
202年間行われなかった譲位による皇位継承の実施、上皇の存在、実権をもつのが「国民」だということ等、すごい時代に巡り合わせたものです。
御所、御苑という話題を通じて、日本の歴史について考えてみるきっかけの一つとなれば幸いです。
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