皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
今まで何度かお届けしてきた「観光気分を味わおう」シリーズですが、今回は東京の『靖国神社』からお届けします。
前回の記事はこちら:
靖国神社とは
「靖国神社」は非常に有名な場所ですね。当ブログの読者のほとんどの方はご存知だと思いますが、念のため、おさらいしておきましょう。
明治2年(1869年)6月29日、明治天皇により建てられた『東京招魂社(しょうこんしゃ)』がはじまり、とされています。
「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えること」を目的に創建されました。
明治12年(1879)6月4日、「靖國神社」と改められました。
靖国神社では、坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作・橋本左内といった歴史的に著名な幕末の志士、戊辰戦争、佐賀の乱、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などで尊い生命を捧げられた方々の神霊、246万6千余柱が身分・勲功・男女の区別なく一律平等に祀られています。
参拝
それでは参拝です。
『靖国神社』は東京の中心部『皇居』に隣接する北の丸公園のすぐ近くにあり、最寄駅は「九段下」となっています。
が、確かに九段下駅から神社入口まではほど近いのですが、かなりの上り坂を歩かなくてはいけません😓。しかも、神社の敷地に入ってからの参道では幾多の鳥居を潜り抜け、しばらく歩いた後やっと拝殿に到達する、という有様です。
ですので今回は千代田区富士見(地名です、念のため)の方から少しショートカットしながらアプローチする事にしました。(とは言え、ある程度上り坂を歩かないといけないのには目を瞑ります😌)
坂の街でも有名な東京ですが、坂の上の良い雰囲気と言われる場所には靖国神社をはじめとして、学校だとか大学だとかの随分前からありそうな、大き目の施設が鎮座している感じがします。もちろん歴史的経緯からそのようになっているのでしょうけど、そういった施設に車でアクセスできる身分(?!)の方はいざ知らず、自分を含めたごく一般人にはまぁ大変(少し大袈裟です、、😚)な事になります🙃。
靖国神社は桜の名所としても有名です。
ソメイヨシノの季節には少し遅かったのですが、それでもまだまだ一部種類の桜が咲いていました。
中門鳥居から拝殿を拝みます。
奥に見えるのが拝殿で通常はこの拝殿前で参拝します。
(基本的に写真撮影はここまでです。)
さて、無事参拝もすませ、おみくじを引いてみることにしました。
結果は『吉』でした(ふつ~😓)
(まとめ)
皆さまお楽しみの『まとめ』のコーナーです😁。
毎回と言っていいほどタイトルと全然関係の無い内容を好き勝手に『まとめ』に書いていますので、いい加減クレームが付きそうですが(苦笑)、一部楽しみにされている方も居らっしゃる、との事ですので、しばらくこのスタイルで続けます😁。
さて、何かと話題の『靖國神社』ですが、いかがでしたでしょうか。
何かと政治的な話題がつきまといがちですが、要するに『神社』です(^^)。
で、お祀りされているのが「国家のために尊い命を捧げられた人々」という事となっています。
その『国家のため』という部分が、人によって温度差があるようで、極端な例を挙げると「『国のため』というのはけしからん」という意見から、「後世の日本国民のために身命を賭すのであれば本望」という意見まで、人によって様々な違いがあるわけです。
が、現在の日本国は日本国憲法第19条で「思想および良心の自由」が規定されていますので、それぞれの考えを押し付ける事はできないようになっています。
分かりやすく言うと、「どんな考えでも、考えを持つのは自由だけど 社会に属するときは『思想の自由』を盾に与えられた職務を遂行しない、というのはよろしく無い」とされています。
このあたりは程度の問題ですので、客観的に見てそれほど極端で無ければ、実生活で問題になることは少ないでしょう。
一方で、極端な意見は(他の人と違うことが多いので)繰り返し発信せざるを得ず、一般的な意見は(他の人も似たような意見を持っていることが多いので)敢えて発信する必要が無かった、というのは言えると思います。
その結果「少数意見が必要以上に取り上げられてしまい、なぜか多数側が窮屈な思いをする」といった事が、少なからず起きているように見受けられます。
ただ難しいのは「必ずしも多数派側が正しいとは限らない」といった事があるからです。例えば「天動説が正しいと思われてた時代に地動説を支持したのは少数」みたいなケースです。ですので、なんでもかんでも無闇に多数決で決する事が良い、なんて事はありません。
となると、エビデンス(誰が検討してみても「まぁ、だいたい正しかろう」と思われる根拠や証拠)を積み上げて議論するしか無いのですが、多くの日本国民は、そういった作業をあまり得意とはしていないようです。定量的・論理的な議論より、情緒的・分かりやすいものが好まれる傾向にあるようで、こういった『基本的に文字で埋め尽くされたblog😓』よりも、『感情に訴えかける動画』の方がアクセス数が多いのがその証左といえます。
このこと自体を問題にしたり批判したりしたいのではありません。むしろ逆で、誰でも自然の赴くままに過ごしていると、段々とそういった「分かりやすい」ものに流されがち、という事に触れておきたいのです。行動経済学が示しているように、自分自身の感性に基づいて投資行動を行うと、その多くのケースで損失を出してしまう事が示されている通りで、「感覚をベースとした『自然な(自然だと自身が思っている)行動』は必ずしも合理的な行動とはいえず、それだけでは間違いなく結果は出せない」という事は肝に銘じなくてはいけません。
多数派少数派の話に戻すと『エビデンスを積み上げて論理的な議論をする』といった努力をして初めて、ある程度正しかろうと思われる方針を示すことができるわけです。逆に言えば、こういった努力をする意思のある人同士でしか議論は成り立たない、とも言えます。
ということは、経済活動ではお互いそういったインセンティブが働きがちで合意形成に向けた議論になりやすいと言えますし、そうでない分野で合意形成を目指して議論したいのであれば、お金を払ってプロに任せる、ということも検討しなくてはいけないでしょう。(プロは報酬を得てますので、合意形成に至るためのインセンティブが発生します。)
ですから、最初に戻って「相手は少数派だから放っておけば良い」といった対応は得策ではありません。相手が少数派であっても、プロを雇って対応してもらうなり、近い考えの人達を集めて自分の代わりに積極的に情報発信してもらう等、何らかの手を打つ必要があるわけです。と、同時に、相手が『合意形成を目指す努力をするのかどうか』をまず最初に見極めなくてはいけません。相手が合意形成を目指していないのであれば、相手にするだけ費用と時間の無駄遣い、ということになります。
靖国神社の話題から派生して、『合意形成についてのまとめ』となってしまいました。
これらの考え方は、皆さんが今後、社会生活を送られる上で必須となっていくでしょう。参考となりましたら幸いです。
ここまでお読みになられた皆様が、少しでも良い人生を歩まれますように。
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