皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
今まで何度かお届けしてきた「観光気分を味わおう」シリーズですが、今回は東京の靖国神社内にある『遊就館』からお届けします。
前回の記事はこちら:
遊就館とは
「遊就館」は靖国神社の境内内にある、ゆかりの資料を集めた宝物館、となっています。
1階玄関ホールの展示は無料、それ以外の展示室には拝観券が必要となります。
それでは、早速見学することにしましょう。
見学
まずは、1階の玄関ホールです。
1階の玄関ホール以外では、写真や動画撮影は禁止となっています。
「三菱零式艦上戦闘機52型」
いわゆるゼロ戦です。
「(敵の弾に)当たらなければどうということはない」
という設計思想で、本当に実戦投入してしまった戦闘機です。
初期、特に日本軍パイロットがエキスパート揃いの頃は、優位であったことはほぼ事実のようで、
アメリカ戦略空軍司令部作戦部長補佐代理ジョン・N・ユーバンク准将は「ニューギニアやラバウルで我々が遭遇した日本軍は、本当に熟練した操縦士だった。我々は最優秀の敵と戦っているのだということを一時も疑ったことはなかった」と回想している
といったコメントもあるようです。
「蒸気機関車C56、31型」
日本陸軍が、タイ~ビルマ間に敷設した泰緬鉄道(たいめんてつどう)のSLとして使われていたものが、日本に戻ってきてこちらに展示されているようです。
ちょうどほぼ1年前に、汽笛を約40年ぶりに鳴らす、というイベントもあり、ニュースにもなったようです。
ここから先は有料の展示エリアです。が、1階大展示室以外は写真や動画の撮影が禁止されていますので、簡単な説明にとどめます。
有料エリアの2階の展示室は歴史のお勉強の時間、1階大展示室は、大型兵器や戦跡収集品の展示、1階展示室は主にご遺影やご遺品の展示となっています。
日本国内で唯一現存する日本軍の爆撃機です。
復元されたものではあるのですが、オリジナル部品も多数残っていて、しかも貴重な水冷式の機体となっています。
特別展示として、「海鳴りのかなた」というテーマで、海底に眠る各地の沈没船や航空機の写真が展示されています。
順路と順番は前後しますが、歴史のお勉強の展示について少し触れておきます。
古代~大東亜戦争の時代まで歴史を追って展示がされていて、特に大東亜戦争については詳しく展示されています。
もちろん日本側の主張・立場に沿った展示となっていますので、学校の歴史の時間で「日本は戦争をしたので悪い」という内容しか教わっていなくて、それを信じ込まされた方には相容れない内容となっています😅
まぁ、どこの国でも戦争記念施設的な展示は、そのような物なので…。きちんと史実に沿った展示になっている分、ある程度ちゃんとしている、とも言えます。
(どこの国とは言いませんが、史実に基づかない、嘘八百の記念施設も存在するみたいですので…。)
(まとめ)
皆さまお楽しみの『まとめ』のコーナーです😁。
さて、何かと話題の『靖國神社・遊就館』でしたが、いかがでしたでしょうか。
以下、個人的見解になります。
特に大東亜戦争開戦については「追い詰められたので、仕方がなかった」というニュアンスをすごく感じました。もちろん、史実をみても、ABCD包囲網やら、経済制裁など、日本国が追い詰められていたのは間違いないようですので、その部分を否定するわけではありません。
が、「仕方がなかった」で本当にいいのだろうか?とも思いました。これだと「戦争をしたので悪かった」と本質はそんなに変わらない、とも言えます。要するに、そこで思考停止してしまっているわけです。
そうではなく、きちんと分析して、改善していくことが大切で、次に近い状況になってしまったとき、繰り返し同じ行動を取らないようにあらかじめ考えておかなくてはいけません。
とは言いつつも、投げっぱなしもどうかとも思いますので😅、その場で感じたことを簡単に挙げていくことにします。
- 「合理性より精神性」といった問題
- 「権力構造のありかた」の問題。主として、大日本帝国憲法そのものの欠陥についてです。
- 「欧米列強と対等に伍する」ということ。「富国強兵」といった側面もありましたが、一方で戦略面での失敗、例えば:
- 日本軍が戦争に強かったため国際社会からマークされてしまったが、その認識の無さ
- 都合の良い講和交渉への見通し
- 国力を大きく超えた支配領域
などです。
結局、「国家としての方針や戦略は、誰が決めているのか?」ということが、全然分からずじまいでした。
例えば:
軍部は自分たちの組織の都合しか考えていなかった。陸軍参謀総長、海軍軍令部総長といえども、組織の都合を自分の考えより優先せざるを得なかった、という状況
内閣は総理大臣といえども、軍事面(特に作戦面)で、ほとんど影響力を持つことができなかった
天皇は直接政治力を発揮することができなかった
となっています
が、もともと「国家としての方針を誰が決めているのか?」がぼんやりしているため、「戦争に負けたとき、誰がどうやって責任を取るのか?」についても、ぼんやりとしていることとなっています。
もちろん、敗戦後、阿南陸相の切腹をはじめ、陸軍を中心に将校ら(杉山元・元参謀総長をはじめとして)が多数自決していますし、開戦当時の首相であった東條英機も(未遂に終わったとは言え)自決しています。元海軍軍令部総長の永野修身は、あえて生きて東京裁判で裁かれる道を選んだようです。天皇も(GHQの政策でそのままになったとはいえ)退位を示唆するお考えもあったようです。
(ちなみに、同じ敗戦国のドイツは、ヒトラーが最後まで抵抗して、結局米英仏ソによる統治。その後、米英仏とソ連との対立が激化して東西ドイツに分割統治になりました。(御存知の通り1990年にドイツ統一となっています。))
こういった状況の中で、GHQによる占領、東京裁判、サンフランシスコ講和条約、ということで、戦後処理が行われました。
関係者全員(GHQも含めて)が国体護持(ここでは天皇制継続)を望んだことから、(ドイツとは違い)日本国は存続したまま戦後を迎えることとなっています。
その結果として、新憲法で主権者となった日本国民自身が、一部モヤモヤとした部分を抱えながら今年で77年を迎えています。
(ただ、このモヤモヤ感は、TV等で言われる「反省」とは異なるものであることには触れておきます。)
事実、多くの方々が、各々の方法で責任を取っていらっしゃるわけです。(一部そうでない方もいらっしゃったようですが😅)。 が、70年以上も前の事ですし、日本国民として、こういった経験を踏まえた上で、次にどうしていくのか?を前向きに考える時期に入ったのかもしれません。
そういった意味で、色々と考えさせられる施設となっています。
是非一度、自ら足を運んでいただいて、今後どうしていけばいいのか?について考える機会となればいいなと思います。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。
コメントは原則として非公開とさせて頂きます。(頂いた内容について新たな記事にて一部言及することもございます。予めご了承ください。)
※入力確認画面は表示されず、すぐに送信されますのでご注意ください。
前回の記事: