あっという間に、GWが終わってしまいました😅。
こういったご時世ですので、ご自宅等でゆっくりとお休みになられた方も多いかと思いますが、皆様いかがおすごしでしょうか。
今回は、世界遺産シリーズ第2段、「賀茂御祖神社(下鴨神社)」です。
前回の記事はこちら: tsh.hatenablog.jp
おさらい
それでは、実際に訪問レポートに移る前に、あらかじめおさらいをしておきましょう。
賀茂御祖神社(下鴨神社)
さすがに古すぎて、「いつ頃から?」というのを特定するのが難しいようです。京都に数ある社の中でも、最古に近いともいわれています。
下鴨神社の歴史について少し調べてみたところ、いきなり「古事記」や「日本書紀」の世界で😅、伝説の「八咫烏(ヤタガラス)*1」が登場したり、「賀茂氏」といった豪族が登場したり と、もうすっかり大変な状況😅になっています。
「上賀茂神社」「下鴨神社」は、元は「賀茂社」といわれたひとつの神社でもあった、ということで、下鴨神社では八咫烏に扮した神「賀茂建角身(かもたけつのみのみこと)」として祀られています。
このあたりを初めとして、もっと詳しくお知りになられたい方は、以下リンクを張っておきますので、どうぞ。
ちなみに、「下鴨神社」や「上賀茂神社」では、「蹴鞠(けまり)」が神事として奉納されることでも有名です。
下鴨神社では「蹴鞠(けまり)はじめ」が例年1月4日に、 上賀茂神社では「紀元祭」として、同じく蹴鞠や武道が奉納されます。もちろん、その日は「建国記念の日(=紀元節)」です。
https://www.kamigamojinja.jp/hitotose.htmlwww.kamigamojinja.jp
以前、紀元節についての記事を書きました: tsh.hatenablog.jp
河合神社
当ブログをよくご覧下さっている方は既にお気づきだと思いますが、「下鴨神社」「上賀茂神社」の両神社は、既に過去の記事でご紹介しています。
ですので、今回は少し趣向を凝らして、下鴨神社からみて「糺の森(ただすのもり)」の南に鎮座する、下鴨神社の摂社「河合神社」についてお届けします。
河合神社は下鴨神社の摂社として古くより祀られ、女性守護としての信仰を集めるお社である。ご祭神には神武天皇の母、玉依姫命をお祀りし、玉依姫命は玉の様に美しい事から美麗の神としての信仰も深い。河合神社ではこの美麗の祈願絵馬として鏡絵馬の授与を行っている。
賀茂川と高野川が合流する只洲(ただす)河原に祀られたことから河合神社とよばれます。
美人の神ということで有名ですね😍。
そして、先程ご紹介した「八咫烏」を祀っている神社でもあります。
以下にリンクを張っておきます。
https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/contents/0000281/281370/02_shimogamojinjya.pdf
方丈記
先ほどの神話の世界から数百年以上😅時代は下って、平安時代末期です。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。~
Q. この有名な書き出しから始まり「古典日本三大随筆」といわれた『徒然草』『枕草子』とならぶ作品といえば?
A. もちろん、「方丈記」ですね♪
(学校の授業で冒頭文を暗記させられることでも有名ですが、、、😂。)
Q. そして「方丈記」の作者と言えば?
A. はい、『鴨長明』です😁。
と、おさらいしたところで、、、。
では「方丈記」とは一体どんな内容だったのか?
すっかり忘れてしまった方が多い(自分も含めて)と思われますので、少し調べてみました😓。
最近は便利なもので、『方丈記』『現代語訳』と検索サイトに入れると、色んなサイトが出てきます。
調べると、『8,000字程度の短編』だという情報が得られることができました。有名な作品なのに意外にも短い*2です。ですから、当記事をきっかけに一度、お読みになられることをお勧めしておきます。もちろん現代語訳で大丈夫です。
・・・いかがでしたでしょうか?
少しネタバレ(!?)すると、大火事が起きたり、竜巻が起きたり、挙句の果てには、大地震が起こったり、飢饉やら、疫病が流行ってバッタバッタと万単位で人が亡くなったりと、まぁ、散々な出来事が多数発生します😅。
歴史的に見ても、平安末期から鎌倉時代へ変わる激動の時代だったらしく、幕末や、第二次世界大戦直後のような混沌とした時代であったようです。
鴨長明は61年間の生涯でしたが、その間改元(元号が変わること)すること23回😲。
今の時代も「平成」から「令和」に改元されましたし、『上皇』がいらっしゃったり、『即位』したり、「大地震(大震災)」が起きたり、武漢ウィルス由来の「疫病」が流行ったりと大変な時代ですが、、。
さすがに23回も改元していないですよね、、😅。
「方丈記」ついて少し調べると、『無常』と表現されることが多いことに気が付きます。が、単に『無常』の2文字でまとめてしまっていいのでしょうか?😁
さすがに方丈記の作者、鴨長明も自分が書いた文章が「800年」経った我々に読まれているとは、書いてるときは夢にも思わなかったでしょうが、、、。
(このブログが万が一「800年後」に読まれてたとしたら、それはそれで歴史的一大イベントでしょう😁。さすがに「絶対ない」といい切っても良いと思います。)
伝へ聞く、いにしへの賢き御世には憐みを以て国を治め給ふ。すなはち殿に茅ふきても、軒をだにととのへず、煙の乏しきを見給ふ時は、限りある貢物をさへゆるされき。これ、民を恵み、世を助け給ふによりてなり。今の世のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。
(現代語訳例)
私は伝え聞いている。いにしへの徳の高い君主の時代には、徳をもって国を治めたと。すなわち宮殿の茅葺きさえ刈りそろえず、民衆の家から上がるかまどの煙が少ないのをごらんになっては、限りある貢物さえ民に下されたという。これは民を恵み、世をお助けになる心からである。今の世がいかにひどいか、昔になぞらえて見るとよくわかる。
このあたりの内容なんて本当に凄いですね。
800年経った令和の現代でも、人が政治を行うことって当時から何ら変わらないのか、と、色々と考えてしまいます😅。
・・・と、簡単に「方丈記」についてご紹介させて頂きました。
繰り返しになりますが、もしこういった内容に少しでもご興味をお持ちになられましたら、折角のいい機会ですので、ぜひ一度お読みになられることをお勧めいたします。 (もちろん現代語訳でOKです。)
世界遺産訪問
それでは、実際に訪れた様子をご覧いただきましょう。
世界文化遺産の碑:
河合神社:
鴨長明についての説明:
「瀬見の小川」
先ほどの写真の中央部分に書かれている歌です。
約800年前に詠まれた歌の風景が、現代でもほぼそのまま味わえるとは凄いですね😲。
(少し考えてみると、当然ながら夜にならないと月が小川に映りませんので、本当に味わおうとすると夜までこの辺りをウロウロする事になりますが、、😅。)
復元された方丈の庵(いおり):
こちらは、先ほどの写真説明の後半に触れられています。
何度も出てくる「方丈」とは何?という疑問がまず浮かんできますが、
1丈四方の面積を指す。またその広さの部屋や建物の事で、「方」には四角形の意味(例:方墳、正方形など)が在り、「丈」の長さをもつ「方」ということ(本項目で記す)。 1丈は、10尺であるので、1方丈は、約3.030m 四方ということになる。その面積は、100平方尺であり、約9.1827 である 京間(6尺3寸×3尺1寸5分 = 約1.9091 m ×約0.9545 m )の四畳半の一辺は、9尺4寸5分 = 約2.8636 m であり、その面積は89.3025平方尺 = 約8.2004 m2 であるから、1方丈は京間の四畳半の1.12倍程度の広さである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E4%B8%88
ですので、約四畳半程度の大きさ。
庵とは:
建物の名称で、風流人など浮世離れした者や僧侶が執務に用いる質素な佇まいの小屋のことで、庵室、草庵(そうあん)などとも言う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%B5
草案とは:
草庵(そうあん)とは、日本の上古から中世期に出現する建築様式で、「草」は草葺ないし草壁を意味する。 (中略) 中世にも出家した僧や隠遁者が人里離れて草庵に住んだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E5%BA%B5
この「方丈の庵」は組み立て式になっていて、ここ下鴨神社ではなく「日野の里(京都・伏見)」に山ごもりをしながら執筆?!した、とされています。
小川を気持ちよさそうに泳ぐ鴨たち:
(誰でも思いつきそうなダジャレを言いそうになるところを、あえて封印😅)
糺の森(ただすのもり):
その広さは甲子園球場3.2個分!!
ちなみに、ここから本殿近くまで辿り着こうとすると、結構歩くことになります😅。
賀茂川:
こちらは、先ほどの小川と違い大きな川で、ここからすぐに「高野川」と合流し「鴨川」となって流れていきます。
では、もう一度:
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。~
というわけで、前回に引き続き世界遺産訪問レポートになりましたが、いかがでしたでしょうか。
この記事で、少しでも京都の世界遺産観光気分を味わって頂けましたら幸いです。
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