皆様、いかがお過ごしでしょうか。
大好評をいただいている「観光気分を味わおう」シリーズ、今回は乃木坂周辺を散策しました。
この特別な瞬間、乃木坂周辺の魅力に触れ、この街を新たな視点で見つめてみます。
国立新美術館
国立新美術館は、日本で5番目の国立美術館として平成19年(2007年)1月に開館しました。
波のようにうねるガラスカーテンウォールが象徴的な建物で有名です。
また、(写真左側に写っている)円錐形の正面入口も非常に特徴的です。
この日も沢山の方々が訪れていました。
が、今回の目的は実は美術品の見学ではありません😎
先程「2007年に開館」と書きましたが、その前はどうなっていたのか? 少し興味があったので調べることにしました:
明治時代(明治22年(1889年))日本陸軍歩兵第3連隊が移転してきており、 戦後は「東京大学生産技術研究所・東京大学物性研究所」という施設になっていました。
その日本陸軍歩兵第3連隊の兵舎として使われていたものが、 「新国立美術館 別館」として(一部だけですが)そのまま残されていて、 現在も見学できる貴重な建物となっています。
この兵舎は、昭和3年(1928年)に建設されたもので、戦後一時期在日米軍に接収されていたこともあったそうですが、 昭和37年(1962年)に「東京大学生産技術研究所・東京大学物性研究所」として、平成13年(2001年)まで使われていました。
国立新美術館別館の建物
建物のカーブが特徴的です。
入り口:当時は写真右手側に正門があったようで、ここはいわゆる通用口っぽい感じです。
また、スロープ右手前側に弾痕のようなものがあって、二・二六事件と関係したのではないか? という噂もあるようですが、真偽は不明。(都市伝説っぽい可能性が高そうですね。)
↑こちらのサイトは転載禁止だということですので、リンクを張っておくのみにとどめておきます。 当時の建物の全体像を見ることができるようです。
東京ミッドタウン
現在東京ミッドタウンがあるこの場所は、江戸時代萩藩毛利家の屋敷でした。
明治時代に日本陸軍歩兵第1連隊駐屯地となり、戦後の一時期は米軍将校の宿舎となっていましたが、 返還後は防衛庁の檜町庁舎として使われていました。
2000年に防衛庁本庁が檜町から市ヶ谷に移転したことで、この場所の再開発が始まり、 現在の東京ミッドタウンとなっています。
元々の藩邸が明治時代から軍の施設として使われていて、 近年再開発されたということで、先程ご紹介した国立新美術館と似たような経緯であるわけです。
これほどの広大な土地が再開発されるというのは、そういった経緯を辿っていることが多いようです。
六本木方面を撮影:
写真では見えづらいのですが、信号の奥が六本木交差点。観光の名所となっています。
以前は、六本木交差点からこちら方向(外苑東通り北側)は特に一般人が立ち寄るような場所ではなく、 どちらかというと夜は暗いイメージの場所で、車で通ってもただ単に通過するような場所だったように記憶しています。
そういった意味では随分と変わったものです。
今回は特に内部をご紹介しませんが、 この手の再開発ビルにしては珍しく
「金(マネー)の匂いがする😁 商業施設」
となっていて、 かなり驚きました。
(という『個人的な印象』ということにさせて頂きます🌝)
乃木坂
先程の東京ミッドタウンから、歩いてほど近い所にある乃木坂までやってきました。
現代でこそ有名な地名となった『乃木坂』ですが、 その昔、江戸時代に遡ると「幽霊坂」と呼ばれていたそうで、 当時はひっそりとした寂しい場所であった、ということのようです。
それが、どうして「乃木坂」になったのか?ということですが、 「乃木希典」さんと呼ばれる方が近くに住まわれていて、 その方に敬意を込めて「乃木坂」と呼ぶようにした、ということのようです。
まぁ、詳しくは後ほどご紹介するとして、まずは「乃木坂」を堪能してみましょう。
赤坂方面:
その反対方向:
このトンネルを真っ直ぐ抜けると、始めにご紹介した「国立新美術館」の西門側(森の小道がある側)に行くことができます。
1つ前の写真正面に写っている、陸橋の上から撮影してみました:
左側の木々があるところは「乃木神社」となっています。
「のぎざかりっきょう」と書かれています:
ちなみに、奥の白いビルの隣の建物が、今話題になっているジャニーズ事務所本社ビルで、 昔のSME(ソニー・ミュージックエンタテインメント)乃木坂ビル、となっています。
旧乃木邸
まずは、先程少し触れた「乃木坂」の名前の由来となった「乃木希典(のぎまれすけ)」さんの 紹介から始めましょう。
陸軍大将として活躍。特に日露戦争において活躍が評価され、海軍の東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされました。
国民からの人気もすごく高かったようで、その人気から「乃木大将」「乃木将軍」として人々から親しまれています。
また、明治天皇からの信頼も厚く、裕仁親王(後の昭和天皇)が学習院に入学するにあたり、 その養育を託された、とされています。
明治天皇崩御後、その大喪の礼が行われた当日、自邸の居室で自刃して亡くなりました。
その場所が他でもない、今からご紹介する「旧乃木邸」となっています。
確かに、(先程ご紹介した)陸軍の駐屯地が近くに有ったわけですので、 その陸軍の偉い人がこの辺りにお住いになられていたとしても、何ら不思議でない感じはします。
正門から入りましょう
明治35年(1902年)に新築されました
本館(1枚前も)と正面玄関
平屋ということになっていますが、屋根裏(1枚上)、半地下(写真下)があり、 実質的に3階建ての構造となっています。
煙突部分
傾斜地を利用して建てられているため、この部分は半地下という扱いのようです。
内玄関
レンガ造りの厩(うまや):
イギリスからわざわざレンガを取り寄せて作られました。
乃木神社
乃木夫妻(希典・静子)が明治天皇大喪の礼に殉死したことをきっかけに、 国民の間から神社創建の運動が始まったとされ、 大正12年(1923年)11月1日に創建されました。
また、乃木夫妻の葬儀と同時期に、先程ご紹介した「幽霊坂」の名前が「乃木坂」と改められたようです。
乃木神社の御祭神は、乃木夫妻なのですが、お墓は近くの青山霊園にあります。
私、全く存じ上げなかったのですが、 この乃木神社は某有名アイドルグループ『乃木坂46』のメンバーが成人を祝う場所でもあるらしく、 ファンの方々にとっての聖地巡礼の地としても有名だそうです。
時代が移り変わっても、多くの人々に親しまれるということは良いことですね。
(まとめ)
皆さま、お待ちかねの「まとめ」のコーナーです😎
駆け足ながら乃木坂周辺の様子についてお伝えしました。
江戸時代の藩邸が明治時代に陸軍の駐屯地となり、戦後、防衛庁や東京大学の研究施設として使われていた場所が再開発され、 現在の美術館や商業施設として生まれ変わった、 といった経緯がよく分かります。
記事内でも少し触れましたが、かつては人々が自然と集まる繁華街的な場所というより、 特に用事があるわけでもない限り、人々が立ち寄るような場所では無かったようです。
六本木、赤坂、表参道といった繁華街にほど近いにも関わらず、どちらかというと穴場的な場所として知られていました。 (今回の記事ではあまり触れていませんが、国立新美術館の隣には青山霊園という巨大な墓地も広がっています。)
にも関わらず「SMILE-UP.」への社名変更で話題となっている、ジャニーズ事務所の本社ビルはすぐ近くにあり、 しばらく前からこの地に拠点を構えていたことを考えると、その洞察力は驚異的です。
スクラップ&ビルドを繰り返してきたという意味で、ある意味「とても東京らしい場所」と言えるでしょう。
(単に高いビルが建っているから凄いとか、そういったことではありません😓
そんな事を言い出したら、「ブルジュ・ハリファ*1」があるドバイが世界で最も素晴らしい場所ということになってしまいます😎)
今ある美術館や商業施設を楽しむことも素晴らしいことではあるのですが、 歩きながらその街の歴史を感じ、思い巡らせることも、お金をかけずに楽しむことのできる魅力的な観光体験の一つです。
このように過去を振り返りながら、この街の魅力や歴史がどれほど影響を与えてきたかを考えてみたり、 また、色々な街の歴史に触れ、新たな視点で見つめることで、私たちは新たに感動の瞬間を迎えることでしょう。
今回もご覧いただきましてありがとうございました。
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*1:高さ828mの今のところ世界で最も高いビル ブルジュ・ハリファ - Wikipedia