今日、2月11日は「建国記念の日」で祝日ですので、こうやってブログを書く時間が少しあります😌。
「建国記念の日」ということですが、実のところ「なぜ祝日なのか、よくわかっていない」のです。
単純に考えると、「建国」なので「日本国」ができた日?とも思えるのですが、きちんと調べてみることにしましょう。
まずは、Wikipedia
「建国記念の日」
まぁ、実際はそんなものでしょうね。この日から「建国します!😆」って明確な日付が記録されてる方が、珍しいとは思います。
例を挙げると、 学校の創立記念日と言われる日も「(学校関係者の)都合の良い日」に制定されがちですし、 会社設立の場合は法務局に届け出た日になりますが、「創業」って言われると自由に決めて良いわけで、それじゃぁ、適当に区切りの良い日にしよう、だとか、縁起の良い日にしようとか、そういった感じで決まることが多いでしょう。
実際に「建国記念の日」が祝日として決まったのは、1966年(昭和41年)ということですので、「建国」っていう立派な祝日の割には、決まるのが遅くないですか?って感じですよね。
「大化の改新」といわれる乙巳の変を基準として考えても、645年6月14日と分かっていて、そこからカウントしても1300年以上は軽く日本国として歴史があるわけです。
先の創立記念日の例を挙げるまでもなく、日本には長い歴史があるにも関わらず、制定されるのが遅すぎて、いくらなんでも違和感大有りです。何が理由があるのかな?と、もう少し調べてみました。
紀元節
1872年(明治5年)11月15日太政官布告第344号「神武天皇御即位祝日例年御祭典」によって、旧暦1月1日に当たる1月29日が祝日とされた。翌1873年(明治6年)1月4日太政官布告第1号「五節ヲ廃シ祝日ヲ定ム」によって、神武天皇即位日という名称となり、1月29日に諸式典が斎行された。同年3月7日太政官布告第91号「神武天皇御即位日ヲ紀元節ト称ス」によって、紀元節という名称に改称された。同年7月20日太政官布告第258号によって、紀元節の日付は2月11日に改められ、翌1874年(明治7年)2月11日から適用された。
ちょっとややこしいですが、整理すると
ということのようです。
ただ、もう少し調べると、「紀元節」は1948年(昭和23年)に廃止されているようです。
四方節、紀元節、天長節、明治節を四大節(しだいせつ)と呼んだ。
建国記念の日制定
第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)、片山哲内閣により、日本国憲法にふさわしい祝日の法案に紀元節が「建国の日」として盛り込まれていたが、連合国軍最高司令官総司令部により削除され、法は1948年(昭和23年)7月に施行された。日本が独立を回復した1952年(昭和27年)から復活運動がおき、1957年2月13日自民党纐纈弥三らは、建国記念日法案を国会に提出し、5月15日衆議院で可決(のち審議未了)、また1958年(昭和33年)に国会へ議案が提出された。その後、「紀元節」の復活に賛否両論あるなか数度の廃案と再提案を経て、1965年2月3日首相佐藤は全国知事会議で建国記念日は2月11日が適当、祝日法改正案は政府立法で国会に提出すると所信を表明、1966年(昭和41年)に、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」という趣旨の「建国記念の日」を定める国民の祝日に関する法律の改正が成立した。同改正法では、「建国記念の日」の具体的な日付について定めず、政令によって定めることとしていた。そのため、同年12月、佐藤栄作内閣は、建国記念の日となる日を定める政令(昭和41年政令第376号)を定めて、「建国記念の日」を2月11日とした。同政令は即日施行され、翌1967年(昭和42年)の2月11日に実施された。こうして、紀元節の祭日であった2月11日は、「建国記念の日」として祝日となった。
という経緯を辿ったようです。
日本国憲法にふさわしい祝日の法案に紀元節が「建国の日」として盛り込まれていたが、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により削除され 日本が独立を回復した1952年から復活運動が起き
そりゃそうですよね。日本国以外の関係者が勝手に廃止したのですから、戻そうという動きが出てくるのは自然なことです。
1947年から考えると、20年かかってようやく決まったようです。
というわけで、想像以上にややこしい経緯を辿って、現在の「建国記念の日」となっているようです。
独断と偏見でまとめると、
- 「紀元節」を認めることで、天皇を中心として日本人の団結力が高まるのではないか」というGHQの懸念、及びそれに忖度する勢力
- 明治新政府が、天皇を中心とする新しい国家体制を築き上げるため、神格化を強化したと考えられること
- 神武天皇の存在が、神話上のものである可能性が否定できないことを始めとして、そもそも正確な起源がわかっていないという意見
がそれぞれ影響しあって、現在の状況になっていると思われます。
「正確な起源が分からない」というのは、実際問題そうであろうと思います。が、そもそも「いつ建国された」なんてのは、先の例のように、ある意味適当な要素が大きいと思いますので、「厳密にわからないからできません」というのは、残念ながらやらない言い訳としか聞こえません。本気でやる気があるならそんな意見に耳を貸さずに実行した方がいいですし、現実、「建国記念の日」はきちんと制定されていますから、そこはきちんと仕事をしてきた、という評価になるでしょう。
個人的には、神話の世界で「建国」を旧暦1月1日としたのは、合理的な考え方だな、という印象です。
12月25日がキリストの誕生日といわれ、冬至とほぼ一致しているのと、ある意味考え方が共通する部分があリますね。
GHQの件ですが、サンフランシスコ講和条約が、1951年9月8日調印、1952年4月28日に発行していますから、それ以降は当然のことながら、日本は独立を回復しています。「紀元節」を勝手に廃止したのはそもそもGHQですから、まずは、「紀元節」を戻した上で、そのまま「紀元節」を使うのか、「建国の日」にするのか「建国記念の日」するのか、新たな記念日にするのか、を議論した方が良かったように思えます。
この考え方を広げると、現状の「日本国憲法」も、日本が独立を回復したらすぐに一旦「大日本帝国憲法」に戻して、そのまま「大日本帝国憲法」がいいのか、GHQ草案に沿って起草された「日本国憲法」を使うのか、自分たちで別途新たな「自主憲法」を制定するのか、を考えた方が良かったのかなと思います。
まとめ
「建国記念の日」ということで、その成り立ち等について考えてみました。意外と学校では教わらないことですし、メディア等では偏った意見も散見されますので、今回は整理する意味でまとめてみました。